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八甲田、岩木山、秋田駒ヶ岳

1994年4月22日〜28日 東北名峰テレマークツアー(単独)酸ヶ湯脇の天幕
八甲田高田大岳 4/22 千葉の社宅を朝早く、車で出発しひたすら北を目指す。途中、平泉SAで給油。青森市内には午後2時頃着。早速食料品の買出しし、八甲田へ。酸ヶ湯の駐車場脇の森の中にテントを設営。今日は酸ヶ湯に入りのんびり。
4/23 八甲田/大岳、高田大岳、井戸岳
 快晴の中を出発。先ずは仙人岱を目指して朝の冷気で硬くなった雪面を行く。ひと登りで仙人岱。右手の硫黄岳があまりにも白いので登ってみた。南八甲田の櫛ヶ岳が八甲田の黒い森の向こうにひときわ白く輝いていた。硫黄岳よりシールをつけたままひと滑降。大岳へはまっすぐ直登する。山頂は既に雪が無い。記念撮影し東側に残った急な一枚バーンを一気に滑り降りる。そのまま子岳へ登り、高田大岳目指して滑降。まことに気持ちが良い斜面だ。ハイマツのブッシュの中を高田大岳へ登る。八甲田の展望を十分楽しんだ後、小岳とのコルまで戻る。小滝沢の斜面も良し。時間に余裕があったので井戸岳まで登り返すことにした。井戸岳はロープウェイを利用した人達でいっぱいだった。少々ガッカリ。いよいよ箒場へのロングな横断。快適な斜面の次は長い樹林帯を滑り、午後2時頃着。バスで酸ヶ湯に戻り、一風呂浴びてのんびり過ごした。
八甲田硫黄岳4/24 八甲田/雛岳
 起きると天気がいまいち。予定していた南八甲田を明日に延ばして、下北半島でもドライブと、テントを撤収して向かう。途中、昨日の箒場を通りすぎるとき、雛岳に陽が当るのを見て急遽予定を変更。雛岳を速攻ス岩木山の尾根ルート入り口タイルで登ることにした。雛岳へのルート解説は全く無いので地図でルートファインディングし、箒場わり見た左の尾根を直登することにした。登るにつれてスキーの跡が所々あり、少々安心した。山頂からは高田大岳が雲間に大きく見えた。いよいよ下り。南東に延びる尾根に雪がびっしり付いている。これがまた最高の斜面である。少しづつルートを北に取り、昨日のルートと合流し。、箒場へと導かれる。まだ早いので、青森まで降りて、栄養のある食事をして、翌日の南八甲田のため、睡蓮沼付近の雪原にテントを設営した。月夜の幻想的な夜だった。
4/25 南八甲田/櫛ヶ峰、駒ヶ峰、乗鞍岳
 今日は八甲田の最終日、南八甲田の周遊をする。緩やかな斜面を真南へ進むと平らな山頂部へ。この辺りが駒ヶ峰か?西に進路を換え櫛ヶ峰に向かう。櫛ヶ峰南面は大バーンで斜度も20°程度で適当。一気に滑降し林道沿いにしばらく行き適当なところより乗鞍岳をシール無しの登行。駒ヶ岳の南面は結構急な大バーン。200m程度滑り北へ向かい猿倉岳山頂を経て睡蓮沼にダウンヒルで終了。満足の行く周遊であった。猿倉の湯で一風呂あびて次の目的地の岩木山へ移動した。岩木山滑降痕
4/26 岩木山
 今日も天気が良い。昨夜は弘前市の岩木川の河原に幕営した。早起きし津軽の名城、弘前城の桜を見た。大変すばらしい。岩木山へは駅前よりバスで行く。リフトは営業していないのでスカイライン終点からは徒歩で登る。少々風が強い。山頂に着くと群馬の伊勢崎より単独行が一人。私と同じく東北山スキーの旅をしている。彼はスカイライン沿いに滑降するそうだ。薄雲があって展望はいまいちだが、東に広がる滑降コースは素晴らしい。最初は急斜面、一度こける。1450mから広大な谷へ滑り込む。1000mで尾根の樹林帯に入り大休止。ランチタイム。この尾根を詰めていくと弥生の集落にでるのだが、下るにつれて雪がなくなり、しまいにはブッシュの藪こぎとなってしまった。今年は雪が少ない!! 400mでやっと夏道に出てリンゴ畑の中を弥生のバス停まで歩く。岩木山に刻んだシュプールが良く見えた。
乳頭山と池4/27 秋田駒ヶ岳〜乳頭山〜蟹湯
 昨夜は夜になってから田沢湖スキー場駐車場で幕営。昨夜はとうとうビールが底をついた。(この旅に出る前に一箱用意した。)スキー場は営業を終了しており下部よりシール登行となる。少々迷いもしたが、北斜面をアイゼンで直答し山頂へ。山頂より森吉山、鳥海山、和賀山塊、岩手山が美しい。男岳はパスして横岳経由で縦走を開始。起伏の少ない道を笊森山よりはちょっとした滑降で乳頭池へ。一登りで乳頭山。秋田駒方面が美しい。下りのコースを確認し、田代岱へ。気持ちの良い小屋がある。ここで今日初めての人に出会う。乳頭温泉へは少々わかりづらいが何とか孫六湯のちょうど上に出た。バスでスキー場駐車場に車を回収し、蟹湯で長がったテレマークツアの汗を流した。帰路は日本海沿いに南下し、翌日午前中に長野の実家に戻った。