ホーム]に戻る

 以前、25000図越後平岩を見て良さそうな斜面の山を発見した。それが赤禿山だった。この山は、東と北にテレマーク向きな緩やかな斜面をもっている。標高は1158mと低いが、豪雪地帯だけあった東斜面の中間部は白い大斜面(北斜面は知らない)が広がる。厳冬の1、2月はラッセルが厳しそうなので3月に取って置いた。
山之坊10:30〜大峰峠10:51〜800m平坦地11:11〜東尾根〜赤禿山12:12/40〜東尾根〜800m平坦地13:00〜大峰峠〜山之坊13:17
山之坊集落と雨飾山

南岸に低気圧通過のため、今日の天気予報は曇り。長野県内は昼過ぎに雪が雨、午後回復というもの。北方面の方が良さそうということで赤禿山に出かけました。所在地は新潟県糸魚川市です。山之坊に着くと一面の雪だらけ。おじいちゃんとおばあちゃんが屋根の雪下ろしをしていた。2mは積もっている。
道路脇に車を駐車し、除雪終了点からシール歩行ではいる。この先に民家がまだ2軒あるが、今は誰も住んでいないのだろう。
カモシカ君のラッセルあと

山之坊集落上部の田圃と思われる雪のだんだん斜面を登り、送電線沿いに登る。先ずは大峰峠を目指す。林道つたいでも良いが一番のショートコースを選んでいく。雪は湿っぽくて重いし、スキーは私の体重を支えきれず、所々で板ごとズボッと埋まってしまう。春の柔らかシャーベット雪である。まぁ何とか進む。大峰峠へは正確には行かず途中から東尾根に入っていった。
800mの平坦地手前は急斜面がひろがる。
ここは動物たちの過密地帯なのか、春になってうれしくて走り回ったのか知らないが、動物の歩いたあとだらけである。頼もしいカモシカ君ラッセルもあちらこちらにあった。
赤禿山

急斜面を登り切ると斜度が緩み、白い雪原が広がり、行く手には初めて姿を現す赤禿山で出てくる。右手には明星山の鋭峰が見える。こんな白い雪原が広がっているとは思っていなかった。ラッキーである。・・・しかし赤禿山の赤禿の由来はなんであろうか。とりあえず冬は白禿山でもよいかもしれない。
明星山

白い雪原は800mから900m辺りまで広がっている。右手には凛々しい鋭峰の明星山が見える。標高は、ほぼ赤禿山と同じである。天気が曇りなので、スカッとした展望は無いものの中々の景色で満足である。後方は雨飾や大渚、それに駒ヶ岳や鋸岳などの頚城独特の怪峰が見えている。天気が良ければ素晴らしい写真が撮れるのに残念である。
山頂直下

東尾根は途中910mの凸部分がある。それを少し下って最後の登りにかかる。山頂直下の雪庇を見ながらの登行である。ブナが徐々に大きくなっていく感じ。山頂へは最後に南斜面をまわって入り込んで行く。いったん小さな下りコルを通って最後の小さな登りでたどり着く。雪庇の山頂である。
南北に雪庇の続いている。一応最高点と思える雪庇の上におそるおそる乗って山頂を確かめた。(雪庇は、あまり張り出していないものの、注意注意。)
山頂と一難場山(1518)

板を外すと50cm以上は埋まりました。かなり今週雪が降ったようです。
山頂からは西方面は樹林帯で視界が良くありません。なんと言っても東方面の展望は抜群。天気が悪くて残念でした。南は一難場山が見えており、意外にも白いスロープが広がっています。いずれ狙ってみても良い斜面です。
山頂よりの海谷の山

左より駒ヶ岳、鬼ヶ面山、鋸岳、そして昼闇山??かな。海谷の山々もスキーで行きたいところである。
さて、滑降開始。山頂直下の滑り

雪がかなりいまいちです。重いったらもう。なんとか頑張って滑っていく。適当な林間滑降で気持ちは良いです。
中間部の滑り

900mからは白い大斜面へと出る。北方面にもこの斜面は広がっていて、少しだけ明星山に目掛けて滑降する。何とも良い斜面で大満足である。ずっと白い斜面の端まで行きたいが、後が大変ななので東尾根にむけて登り気味に戻りました。
中間部の滑り その2と赤禿山

雪はもちろん重いが、超楽しい。振り返ると赤禿山を背景にして登りトレースと下りの滑りあと。

この後は、林間滑降と急斜面を一つこなして田圃地帯の斜面へ入り込んで行く。田圃では、滑っていると突然50cm程度板が落ち込んで、転倒すること数度。雪が超やわらかくて体重で落ち込むらしい。意外にも最後で苦労してしまった。
山之坊のMyCarに滑り込んで終了

人の住んでいない民家脇から車に滑り込んで今回のツアは終わり。この辺りで積雪は3m弱程度と思われる。
なお、このMyCarはダイハツ ミラ 毎日長野駅までの通勤用であるが、最近は山行用としても重宝がられている。もう一台のデリカは燃費も悪いし、雪さえ積もっていなければこの車でも問題なし。春先の短距離移動ツアとして利用中。

赤禿山1158m テレマークスキーツアー


歩行:2時間43分    メンバー:単独
場所:北ア       記 録 日:2003年3月15日